自分の中のゴッサムシティ
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みなさん、こんばんは
当ブログ運営者の優勝な人生です。
11月になりいよいよ本格的に肌寒くなってきました、、、
みなさま体調だけは充分にお気をつけください
さて、今日お話ししたいのは自分の中のゴッサム・シティ
“自分の中のダークな部分との向き合い方について“です。
私も今年で27になりますが子供の頃からずっと同じ性格な訳ではありません。
本質的な部分はさほど変わりはないでしょうが、性格はここ数年でかなり変わったなと感じます
変わった部分もあれば、元々持っていたが今まで気づかなかった、気づかないようにしていた部分もあるように思いました。
その一つが今回お話しするダークな自分です。
昔、ある職場で出会った人がこう言いました
“他人の不幸は蜜の味“
その人は人望も熱く、普段は明るく気さくで、とても素直な人でした
そんな彼女は私の憧れ的な存在でもありました
故に、そんな彼女がこの言葉を発した時
当時の私には1ミリも理解ができなかったのです
どうして他人の不幸を願うことがあるのか、
みんなが平等に幸せになれれば一番いいじゃないかとそう純粋に思っていました
私はこれまでの人生の多くは何不自由なく幸せに暮らしてきた方だと思います
優しい家族のもとに生まれ、優しい人たちに囲まれて妬むことも妬まれることもなく
育ってきました
でも現実世界は違いました、綺麗事だけではどうにもならないことが山ほどありました
その彼女との出会いもそうでした
こんなに素敵だと思っていた人にさえこんなダークな感情がある
当時の記憶ではとてもショックだったんです。
それから5、6年の月日が経ち
私もこの数年でありとあらゆる経験を重ねました
大事な人に裏切られたり、恋人と別れたり、転職先でパワハラにあったり
私の中の感情の真っ白い液体の中に黒い絵の具を垂らされていくような経験ばかりでした
そしてつい先日の事、
私の中のダークな部分に気づいてしまった日がありました
大事な人の幸せをなぜか願えなかったのです
自分でもたくさん葛藤しました。その人のことは大好きなのです。
でもなぜかモヤモヤするのです。
とても嫌なのです。
成長して前進していくその人を素直に応援できず
1週間ほど考え悩みました
この日々は辛く、苦しい日々でした
大袈裟かもしれませんが、
初めて向き合う感情というものには莫大なエネルギーが必要なんです
ある日、私はとある友人にそのことで相談を持ちかけました
“ダークな自分との向き合い方について“
私は最も罵倒される覚悟でした、、、
しかしその友人は私が予想だにしない言葉を私に与えてくれたのです
『自分はそのダークな部分も自分の良さだと思っている』
衝撃的でした、シンプルな言葉ではありますが
私の中の何かが救われたように苦しみがスッと消えてなくなったんです
私は今まで、必要以上にダークな自分を受け入れていなかったのかもしれません
それは長年のプライドからなのか
でもそれは自分の本当の気持ちに蓋をして気づかないようにしてた
すなわち、自分を大事にできていなかったということに気づきました。
だからと言って、それを公にしたり、態度で示すのはやはり違うと思うので
自分の中で上手く消化して、自分とも相手とも向き合いたいと思っています。
大事なことはまずは、どんな自分も受け入れてあげること
そこからまた、どうしていきたいのか自分と一緒に考えればいい
まあここまで書いたけど、
“他人の不幸は蜜の味“は一生理解できないと思うし、したくない
“どんなあなたもあなたで
そんなあなたも素敵です“
もうすぐ27歳になる私より